撮影
写真を幾つかピックアップしていじってみた。
整理するのが面倒だし、特に一眼レフで撮ったのでデータが膨大すぎて作業が終わるまで結構時間がかかりそう。
でもなんか自分の撮った写真も悪くないじゃないかと思った。
学校というか塾みたいなところで勉強したこともないし、ネットやたまに撮影の雑誌を読むだけで、やはり人に出す自信はない。
「何か言われたら、反論できない」という不安。
実際私はいたるところまでこんな自信の欠如があるんだ。例えば英語しゃべれるし聞き取れるしでもなんの資格も取ってないので上手かと聞かれたら上手の方ですら言えない。
そうは言えるけど、言っても自分はなんの変化も起きない。
写真撮るのが面白いよ。
瞬間を永遠にして行く過程。
でもその過程が一番面白いと今の自分が思う。昔はかなり過去の写真を見るのが好きだったが、今は思い出したくない思い出に化した。
私はどこに行っても馴染めない。そして今でもその原因を探っている。
自分の何がいけないのかを。
グロウにいる日々、楽しいちゃ楽しいけどここもやはり居場所じゃない。
居場所ってのは、友達のいる場所かな?
自分は「友達が作らない」という、この世に一番使えない能力を持ってるかもしれない。
人とのつながりは仲のいい知り合いまで、その先進めない。
私の中の友達の定義が厳しすぎるかな?ともたまに思うけど、
飲みにも食事にもカラオケにもほとんど呼ばれたことがないのを
思い出すと、いいえ、本当に友達いないに違いないんだ、と。ヒトカラはもちろん、一人で花火を見に行ったり、一人で焼肉したり、一人で買い物したり、何がまだ一人でやったことがないといえばディズニーくらいかな。
すっごく友達がほしいけど今更こんなに一人でいるになれたらやはり友達ができても長く続けないだろう。というか、そうかもしれないね。
新歓の勉強会め一番理解しにくかったデミセクシュアルが一番私にハマると思う。
友達の友達に嫉妬するし、友達が他の友達と仲良いと浮気された気分で一人でへこんだり。
付き合うつもりもないのに好かれたい。好きという気持ちはとても力が持つと思う。好きな人と会いたい気分でやる気が出るし、会ったら何もせずに楽しく居られる。
と私が想像してる。
どう考えても私が面倒くさいとしか思えなくなるが、私を男性として好きな人がいたら私が悲しいし、とか言っても私を女性として好きな人はいるわけないし、ノンケの男性は私をそもそも異性として見えないし、ゲイは私よりちゃんとした男が好きだし、ノンケ女子に好かれたくないし、レズは純女が好きだし、可能性のあるバイもどっちよりの傾向が多いしどっちにしろわざわざ私を選ぶのがありえないから、
恋とかこころの底から諦めていたはずなのに、諦めたスッキリとした気持ちは私が感じられない。
未来が見えない!
だから私は福祉施設に潜入して障害者を殺したひとをヒーローとして見ている側面が持ってる。
ねえ、自分は生きても、この先何か期待できることもなければ、大切で離れたくないものもない。でも自殺できないから、こういう風に殺されるのが助かると思うわ。
こころに性別があることをそもそも認めてないのでどうして男なのに心が女の子と言える人がいるでしょう。私がそう言う時いつも嘘ついてる気分が払えない。一番本当の気持ちに近い言い方は、今の自分の本当の体じゃない。だから今のこの躰はどうなるか興味ない。この躰でいいことも悪いこともしなくなく自分の本当の体に帰還するのを待ってた。
ちなみに写真撮るのは趣味なのに撮られるのがすっごく嫌だ。写真見た時は鏡を見る時と同じで、「この人私じゃないのになんで私のいるところにいつも現れるんだ!」と、この躰にムカつくのだ。
徹夜してたのにレポートひと文字も書いてない。ヤバイねこれは。
おやすみ。